ボーイズ 男の子はなぜ 「男らしく」 育つのか
#ジェンダー
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Chapter 1 : 男の子らしさという名の牢獄 〜 つくられるマスキュリニティ
マン・ボックス
マスキュリニティのステレオタイプ
権力を持つ者、持つべき者にとって、マスキュリニティの特性を有することが標準だと思われている
このようなジェンダーバイアスには大きな影響力があるが、疑問視されてこなかった
白人と同じく、マスキュリニティがデフォルトの状態だと思われている
WASP 以外のあらゆる集団に 「エスニックな」 とか 「エギゾチックな」 と形容表現をするのに通じる
男らしらに欠ける男を取り締まるのによく使われる手段はホモフォビア
少年たちは常に 「オカマ」 とみなされる危険を感じている
7 つのマスキュリニティの柱
大黒柱コンプレックス
Chapter 2 : 本当に 「生まれつき」? 〜 ジェンダーと性別の科学を考える
人間が生まれるには雌の性細胞 (卵子) と雄の性細胞 (精子) が必要
性別がどう決まるか?
生物学的な性差がいかに性格や行動を形作るかを解説する脳科学は、ジェンダーステレオタイプを強化
ポジトロン断層法 (PET) や機能的磁気共鳴画像法 (fMRI)、ヒトゲノム解析により、一見もっともらしい専門性が与えられるように
筆者としては、男の子の脳も女の子の脳もはじめは中性的であることから、生物学がすべてではないと考える
nobuoka.icon これは 「受精後すぐは外性器に男女差がないから生物学がすべてではない」 と言っているのと同じでは?
神経学的セクシズム
トランスジェンダーの子どもたちは自分のアイデンティティを把握し、説明することが求められる
シスジェンダーの子どもたちには求められないのに
トランスジェンダーの子どもに訊く前に 「なぜ自分は自分が女/男だと思うのか?」 と訊いてみるべき
自分が男や女であると感じるとは、どういう意味なのか?
確かに自分の性別って自分の中で何か理解しているものとか何もないよな、という気がする nobuoka.icon
シスジェンダーの人は 「あなたは男/女」 という社会によるカテゴライズを 「そうなのか」 って感じで受け入れる → だからこそ 「そうなのか」 って受け入れない人の気持ちがわからない、という話なのかなー nobuoka.icon
男の子が女の子の恰好をするとか、女の子らしい振る舞いをすることに対して不安を感じる人が居る
男でありながら女性向けの活動や衣服を好んでいると思われたなら、ステータスと権力が失われることになる
なぜ? → 私たちはマスキュリニティにより高い価値を置いているため
女の子が男性的にふるまうことはステップアップとみなされる
そうなのかな nobuoka.icon
Chapter 3 : 男の子と友情 〜 親密性の希求とホモフォビアの壁
男性同士の友情の歴史 : 昔は男同士の友情関係が理想化されていたが、女性の社会進出に伴い新しい男らしさの定義が生まれた
女性同士は、様々な形で互いにつながりあい、愛し合うことができ、それらは相互背反的ではない (それらの関係が女性らしさの定義を覆しはしない)
男性同士の愛は疑わしく不自然なことだと思われるようになった
それ以来、ホモソーシャルな関係とホモセクシュアルな関係のあいだに明確な線引きがされている
ホモソーシャルな関係の中では、性的欲望がないことを示すために、しばしば同性愛嫌悪がなされる
アメリカ国民の健康に対する最大の危機要素は孤独 (2017 年、アメリカの元公衆衛生局長官ヴィヴェク・マーシー)
男性のほうが、孤独の病に侵されやすく、付随する抑うつ感や絶望感に苦しむことも多い
男の友情が消えたわけではない
むしろ、同性間の親密なつながりを築き維持することに苦心しているぶん、男の絆というイメージへの愛着は増している
男の子は女の子よりもコミュニケーション力が低いと考えられているが、実際は同程度の能力をもっている
「男の子には、とても豊かな感情がありますが、どういうわけかそれが見過ごされています」 と、ウェイは語る
男の子の感情的発達について
ウェイの弟が 10 代の頃に友達と喧嘩別れして傷ついた事例
その男の子たちは、同性間の友情に大きな価値を置いており、健康のために友情は欠かせない要素だと考えていた
考えや感情──つまりもっとも深い秘密──を共有することができるから
思春期前半 (14 歳 〜 15 歳ごろ) の男の子は、女の子より男の子の友達関係を求める
男性は思春期の後半に同性の親しい友達を失い始める
『When Boys Become Boys: Development, Relationships, and Masculinity (男の子が男の子になるとき : 発達、対人関係、マスキュリニティ)』 より
一般的に男の子に結び付けられている特性や性質は、生まれつき備わっているわけでも全員に共通するわけでもなく、社会的条件付けと文化的期待を受けて、意図的に計算されて起こる反応である、という主張
男の子はどの程度男の子らしくするかを選択しており、それは自分の性向にあわせてであったり、グループに順応して所属するためであったりする
「男という文化」 の中では本物の対話やつながりの入る余地がほとんどない
弱く見られたり批判されたりする恐れ
大人からも男の子からも、自分たちは 「もともと悪い人間」 だと思っている、という声をよく聞くそう
男の子たちの負のフィードバックループ
すでに 10 歳か 11 歳になる頃には、男は自分で解決方法を見つけるもの、という考えが染みついている
助けを必要とするということは、自分は男として出来損ないなのだ、というメッセージを受け取っている
勇気を出して手を伸ばしたときに応えてもらえなければ、マスキュリニティの健全なありかたを知らない男の子たちは、それでもう殻に閉じこもってしまうこともある
Chapter 4 : ボーイ・クライシス
教育現場のボーイ・クライシス (男の子の危機)
現代の男の子全体が、女の子の躍進する陰で取り残されている、という説
危機感の焦点がずれているのではないか? (男の子全体ではないのでは?)
罰則を与えることを繰り返せば、男の子たちに自分の行動を制御するよう教えることはできる
だが、根っこにある問題の解決にはならない
もともと不安を感じたり問題行動を起こしたりする原因は何なのか
教育分野における無意識バイアス
自らの反射的な偏見に気づけば、学習によって軽減できる
問題児だ、と思われ続けると、いずれ本物の問題児になる
学校から刑務所へのパイプラインの一因ではないか
割れ窓理論に基づく徹底的な取り締まりは、利益よりも害を多くもたらした
それにもかかわらず、チャータースクールの多くでは割れ窓理論に基づく方針がとられている
この 20 年間、ADHD や自閉症スペクトラム障害 (ASD) の診断数は急増している
女の子の診断数より男の子の方が数倍多い
男の子らしさに特徴的とされる性質とこれらの症状は似ている
男の子の危機は本当か?
学業成績と卒業率については、男女間の差異よりも、男の子のあいだにある差異のほうが大きい
脳の性差に関する研究のほとんどは大人を対象にしている
脳の可塑性や遺伝子と環境の相互作用を考慮すると、大人に見られる性差が先天的なものだとする証拠はない
教育の問題がおもにジェンダーに関するものだと捉えてしまうと、社会のシステムに組み込まれている不平等 (多くの男の子たちを苦しめている真の問題) を見過ごしてしまう
学業に秀でることはコミュニティの男性性の概念に反するために、学業で成功することから 「辞退」 している、という説
Chapter 5 : 「男」 になれ
マスキュリニティとスポーツ
Chapter 6 : ゲームボーイズ
少年時代とは何か、という本質について
子どもから大人の男性になるということ
規律を身に付け、キャンプ、狩猟、畑仕事、スポーツといった男らしい活動をすることで、生来の野性的な性質を制圧する過程
獣のような子どもから、理性と分別ある成人男性へと進歩していく少年時代には、啓蒙に向かう人間の姿が凝縮されているという理解
環境を力で支配するのではなく、一連のスキルを身に付けて、環境のなかを歩み、環境と調和して生きる力をもつことが男らしさなのだ、と学びました。母なる大地を支配することはできません。できるのは、彼女と上手に踊る方法を学ぶことだけ
ぼくら (男の) オタクたちは、自分には 『手が届かない』 女の子に欲望を抱く。 そんな高嶺の花の美女たちは、ぼくらの SF やコミックに対する知的興味を理解できないから、必ず、間違いなくぼくらを拒絶する。 そして代わりに体育会系のバカと付き合う─
「ゲームというのは、とにかく本当に楽しいんです」。 この単純な事実が、大人たちが理解していない重要なポイントであると、トンプソンは言う。 ゲームの魅力は、なにも病的で有毒な性質のものではなく、とにかくストレートな面白さなのだ。
自分でメディアをつくれるようになったことで、従来的マスキュリニティの標準形に当てはまらない、あるいはメインストリームメディア上に自分たちの姿が描写されていないと感じていた男の子たちが存在感を増してきたこと
同時に、男性のファッションや自己表現についての新しい感覚がもち込まれた。 文化研究を専門とする教授で著述家のスン・ジュンは、西洋的なタフな男性体型 (例えば割れた腹筋) とソフトで中性的な要素 (例えばハイライトを入れた髪やアイライナーをひいた目) を組み合わせた彼らのスタイルを 「ハイブリッド・マスキュリニティ」 あるいは 「グローバル・メトロセクシュアル・マスキュリニティ」 と呼ぶ。
Chapter 7 : 男らしさの仮面を脱いで
男の子は性に関して主体的・攻撃的でなくてはならないというマン・ボックスのルール
同時に、女の子は受け身で純潔でなくてはならないというルール
中学生への調査で、同性愛嫌悪的・性差別的ないじめと、のちの性的嫌がらせ行為とのあいだに相関関係があることが判明
「ジェンダーにもとづく侮蔑的なあだ名」 で学校仲間をからかっていた少年たちは、学年が上がって女の子に性的嫌がらせをする確率がより高い
性教育関係者によると、性の健康に関していちばん見過ごされている層は、異性愛者の若い男性
男の子たちの性の健康意識に対して、私たちが最低レベルの期待しかしていないことは、奇妙なほど無責任であるように思える。 なぜなら、ゲイのクラスメートをいじめることであれ、性的な強制行為や暴行に及ぶことであれ、セックスとセクシュアリティに関する問題を起こすのは、若い男性であることが非常に多いからである。 また、彼らが自分自身に加えている害の大きさも無視できない。 セックスに際するドラッグやアルコールの使用、複数のパートナーとの関係、無防備な性行為などによって自らの健康を危険にさらすことがもっとも多いのも、若い男性層である。 また逆に、若い男性たちは、性的虐待を受けた場合に被害を届け出ることが少ない (男性被害者に関して一般的に参照される統計によると、アメリカでは男性および少年の 6 人に 1 人が、虐待や暴行を含み、本人が望まない性的行為を経験している)。 男の子たちは、本物の男は強いものだと考えるよう社会化されているため、虐待をされても、弱い人間だと見られたりゲイだと思われたりすることを恐れて、助けを求めることや治療を受けることが少なくなる。 また男の子は、「バカだと思われるのがいやだから、男らしくないから」 といった理由で女の子より医療機関の受診に消極的であることも、研究によって明らかになっている。 そして、もし医療機関を訪れた場合にも、医者から性の健康について注意を促されることは、患者が女の子のときに比べ、男の子のときのほうが少ない。
セックスがネガティブで危険なものとして描かれていることが多く、カリキュラム内容が自分たちの現実とかけ離れている、と生徒たちは感じていた。 すでにセックスをしている生徒がいることは認識されず、生物学的なセックスに特化して、社会的・感情的な面から捉えたセクシュアリティについては触れられない。 LGBT のセックスや恋愛に関する情報はごく限られているか皆無で、女性の性的快楽については無視されることが常である。 学習内容にはジェンダーステレオタイプが満載だ。 女の子と女性は、異性愛者間セックスへの消極的な参加者であり、同時に、性的接触を拒絶するか受け身的に承諾する役割の 「門番」 である、
男子生徒たちからは、性教育の授業は不安感を引き起こす、という意見があった。 男性は性的な知識と能力があることを期待されているため、無知で経験不足だと思われるのが怖かったと言う。 それが、性教育の時間中に授業を妨害するような行動をとることや、ときには女子に対して、その子の性的評判について嫌がらせを言うことにつながっている。 男女とも、授業中には恥ずかしくなることが多いと言い、先生たちには生徒の傷つきやすさや不安感を認識してそれを緩和するように授業を進める能力がない、と感じてい
アメリカ、カナダ、ヨーロッパの大部分で行なわれている性教育で、禁欲指導以外のもっとも大きな欠陥は何かというと、病気や望まない妊娠やレイプのような、セックスのネガティブな結果ばかりに焦点を当てた教育が基本となっていることだ。 進歩的な性教育者たちはこれを 「最悪シナリオ型」 と呼ぶ。快感や親密性について語るよりも、最悪の事態に備えることが強調されているのだ。 つきつめれば、このタイプの教育も禁欲教育とさほど変わらない。
アメリカで性教育が行われ始めたのは 20 世紀の初頭
きっかけは性感染症の増加をめぐる混乱 → 教育により禁欲と自制の推進を目指した
現代の包括的な内容を扱っているような性教育でも、潔癖さがある
表面的には生物学と生殖の科学を教えているようでも、本質は道徳
先生たちは、セックスについて教えながらも、子どものセックスに対する興味を掻き立てまいとする
アメリカで見学した性教育授業の多くでは、必ずどこかで先生が、若い人たちがセックスをする理由として 『低い自尊心』 『同調圧力』 『カッコいいと思うから』 といったものを挙げる
実際には、とても気持ちが良いから、というのもあるはず
10 年ほど前のトロントのティーンエイジャーと若い成人に性の健康に関する自分の知識には何が欠けていると思うか、聞き取り調査を行なった
若者たちからもっとも多く挙がった 3 つ
健全な関係のありかた
HIV/AIDS
性的快感
この最後の点、性的快感こそ、若い男性たちを引き込むために重要なのだと、プランド・ペアレントフッドで若い男性向けプログラムの運営・進行係を務めるミシェル・チャイは言う。 なぜなら、セックスから快楽を得ることと、精力絶倫という男性ステレオタイプに合致することは、彼らの 「男とはこうあるべき」 という意識のなかに深く根付いているからである。 男の子は常に 「オン」 の (=「やりたい」) 状態である、という思い込みが前提にあるせいで、自分が快感を得るため、あるいはパートナーに快感を与えるためにアドバイスを必要とすることは、男として欠けている証拠のように感じてしまうのだ、とチャイは
1 つ、セックスの頻度。 2 つ、セックスをどのくらい楽しんでいるか。 そして 3 つ、コンドームを使っているかどう
男の子にとって必須なのは、同情の意識だと言う。 「安心して自分の感情を受け入れることや、弱さを認めることができなければ、ほかの人に同情的になることは難しいでしょう」。 だから彼女は、対立的なアプローチを取ることはしない。 「若い男性たちと話をするときに、いつも彼らが獲物を狙う肉食動物や、モンスターや、レイピスト予備軍であるかのような態度を取っていれば、受け入れてはもらえません」。 その代わりに重視しているのは、男らしさや、彼らが感じているプレッシャーや期待意識について分析していくことだと言う。
目指すゴールは、若い男性たちが、自分ひとりでも、誰かとの関係性においても、本来の自分の姿でいられるようになることだ、とチャイは言う。しかし、無防備になることへの恐怖がその妨げになることも
問題は、うまく教えられる教育者が少ないことである。 同意について語られるときには、「イエス」 と 「ノー」 の違いという、単純な言葉の問題が中心になる。 しかし、そこにさまざまな社会的な力やジェンダー期待の影響があることは、ほとんど考慮されない。 より広範な力の不均衡に対処しようとすることもないし、男の子に共感や自己認識やコミュニケーションのスキルを教えることもない。
シスジェンダーでヘテロセクシュアルと自認する男性たちは、性的に積極的でない場合、周りの男性たちだけでなく、ときには
あらゆる人種・セクシュアリティ・社会階級の若い男性たちが切実に必要としているのが、愛のある健全な関係性づくりについての対話や知識
セックス、恋人との関係、愛情、敬意といった広範な内容について
セックスとマスキュリニティと支配性について、男の子が社会から受け取っているメッセージは 「怒りと苛立ちしか表現してはいけない」 ということ (優しさと思いやりは男の子のルールに含まれていない)
ポルノが青少年に与える影響
ポルノ消費は、セックスに対する非現実的な意識やジェンダーに対する退行的な見方と関連付けられている
しかし、ポルノ使用と青少年への害のあいだに直接的な因果関係があると判断するのは困難 (関連性の測定が難しい)
なぜポルノを見るのか?
子どもたちが現在受けている性教育に満足していない
セックスはどのようにするのか、何が普通なのかという情報と知識を得ることを期待してポルノを使う (それを示唆する証拠が増えている)
オランダは包括的な性やパートナー関係についての教育で世界一
アメリカ (や他の国) の男の子たちは親密性を求めているが、感情が傷つかないかのようにふるまうことが期待される
親しいつながりを維持するための練習が充分でないまま、自信とスキルが足りない状態で恋愛関係に入る
この課題の目的は、自分の希望を相手に明確に示す方法と、お互いの希望が異なるときに起こる葛藤を解決する方法を学ぶことである。 もちろん、ここで学ぶことは、友人関係だけでなく、恋愛関係にも応用できる。 友達と安全で楽しいウォーターパークへのお出かけを計画できないなら、ましてやパートナーとの安全で楽しい性生活を楽しめるわけがない。 この課題を成功させるためには、ある程度の自己認識が必要だ。 自分が求めるものを知らなければならないし、ほかの人たちが求めるものを尊重できなくてはならない。 同時に、意思を疎通し、相手の意見を聞きとる力も必要
Chapter 8 : 終わりに
極端なバージョンの男らしさ (「有毒なマスキュリニティ」 とも表現される) は、まさに破滅的
ステレオタイプどおりのマスキュリニティに則り、支配的でタフな男らしさを体現しようとする傾向は、うつ、薬物乱用、いじめ加害、非行、危険な性行為、性的満足度の低さ、パートナーへの虐待などと関連付けられる
逆に、男らしさのルールに同調しない男の子たちや、その基準を充分に満たせない、あるいは満たそうとしない男の子たちも、いじめのターゲットになったり、ばかにされたり、排斥されたりというリスクを負う
変革に立ちはだかるもっとも大きな障害のひとつは、いまだに続く、男性らしさと女性らしさを対立させる考えかた
実際のジェンダー平等は、どちらかが得をすれば必ずもう一方が損をする仕組みではない
お互いを敵と見なしていては、私たちの誰ひとり、本来の能力をじゅうぶんに発揮して成功することはできない
女らしさやフェミニニティと関連付けられる性質 (優しさや傷つきやすさなど) が悪しきものとされていれば、女性がおとしめられるだけでなく、男性も自分にそんな性質があることを認めにくい
女性が尊厳や自立性に値しないと見なされている限り、男性は女性に対して力を行使し続けると思われる
女性を窮屈で有害な女らしさのジェンダーステレオタイプから解放することと、男性を窮屈で有害な男らしさのジェンダーステレオタイプから解放することは、緊密に結びついている
ジェンダー格差は残っているが (例えば今も政治やテクノロジーの世界では情けないほど女性が少ない)、女の子のほうが劣っているという主張には、明確な不信感が表されるようになった
女らしさはつくられたものだが、男らしさは生まれつき、という考えが残っている
男の子と男性に関しては、彼らの問題点も短所も、そして長所も、生物学的な結果なのだという考え
実際には、女性に影響を与えている社会的勢力や構造的不平等が、他方、男性のありかたやステータスを形づくっている
だから私たちは、これまで女の子たちにしてきたのと同じように、男の子たちにも、ジェンダーの規範や制限に立ち向かうことを応援してあげなくてはならない。特に、ジェンダーに関する態度が固定し始める思春期前の時期が大切だ。自分の感情を言葉で表現する方法を教え、助けを求めてよいのだと教えなくてはならない。
フェミニズム運動の目的は、男性と女性の平等をもたらすことです。女性を男性より強くすることではありません」。 思慮深く、情熱的で、そして確かに少しばかり生意気なブラウンの意見文は、素晴らしかった。 ここにも 1 人、自分の声を見つけた若い女性がいる。
また素晴らしかったのが、同じ学校に通う何人かの男の子たちの反応である。 彼らもブラウンを擁護する声を上げたのだ。 その 1 人は CBC (カナダ放送協会) のレポーターにこう語った。 「すごくいい T シャツだよ。 未来は女性だっていうのはその通りだと思う。 男のぼくから見てもすごく希望を感じるし、力をもらえるスローガンだと思った」。 別の男の子はこう言っている。 「男子生徒から見ても全然不快じゃないと思う。 いろんなところで高い地位に着く女性はもっと必要とされているから、ぼく自身は素晴らしい T シャツだと思ったよ。 男性を格下げしてるとは思わない。 最高だ
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